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経営者ブログ
2026.06.01
【連載】小さな会社が時代を生き抜く3つの創業

今年、私は50歳という節目を迎えます。 24年間、会社経営に向き合ってきた中で、楽しいことばかりではなく、苦しい決断や大きな転機も数多くありました。 その経験をただ自分の中に置いておくのではなく、これからの世代や、同じように挑戦する方へ少しでも残していきたい。 そんな思いから、私の経営人生を大きく変えた「3つの創業」の物語を、全10話で綴っていくことにしました。 小さな会社が、時代の変化の中でどう生き残り、どう挑戦してきたのか。 その歩みを、少しずつお伝えしていきます。 第1話 26歳で代表者になる 引き継ぎのない事業承継から始まった私の経営人生 私が会社を継ぐことを現実として意識したのは、24歳の頃でした。 家族全員が病院に集められ、父の余命を告げられました。長くて半年。頭の中が真っ白になる一方で、「会社はどうなるのか」という思いが脳裏をよぎったことを、今でも覚えています。 当時の私は、精神的に決して強い人間ではありませんでした。このままではいけない。自分を律し、心身を鍛えなければならない。そう思い、24歳から父が他界するまでの約2年間、空手道場に通いました。 とても厳しい稽古でしたが、あの時期に心身を鍛えた経験が、その後の経営人生を支える土台になったと思っています。 父は昭和8年、鹿児島県出身。曲がったことが大嫌いで、とにかく厳格な人でした。自衛隊を経て大阪へ出て、何度か事業に挑戦したのち、現在の仕事にたどり着いた人です。 仕事には鬼のように打ち込み、早朝3時に起き、休みは元日だけ。私はそんな父の背中を見て育ちました。 父は余命宣告から約2年後、朝5時過ぎに病院で息を引き取りました。 最後の瞬間を見届けたその日も、現場の仕事は入っていました。普通であれば、親が亡くなった日に仕事へ行くことなど考えられません。 しかし、葬儀の手配をしてくれる母から、こう言われました。 「普通なら、親が死んだ日に仕事なんてしない。でも、仕事をすることが、お父さんにとっての供養になる。お父さんもきっと喜ぶから、辛いけど仕事へ行きなさい」 その言葉を受けて、私は悲しみを押し殺し、会社へ向かいました。 今でも、その日のことは鮮明に覚えています。父を亡くした悲しみと、会社を止めるわけにはいかないという責任感。その両方を抱えながら、ただ目の前の仕事をこなすしかありませんでした。 その日から、私の立場は実質的に社長となりました。 しかし、職人気質の父は「見て覚えろ」という人でしたので、十分な引き継ぎはほとんどありません。 代表取締役となってからは、とにかく必死でした。朝6時から自ら現場へ出向き、夕方からは請求書や伝票処理などの事務作業。年末の繁忙期には夜22時まで仕事をし、翌朝また6時から現場へ出る日々でした。 古株社員との軋轢(あつれき)もありました。銀行から連帯保証人の書類を求められた時、その重要性すら十分に分からないほど、目の前の仕事に追われていました。 現場で代表が変わったことを伝えると、「先代には世話になったから、安くしてな」と言われることが多々ありました。二代目としての厳しさを、若くして痛感しました。 一方で、「先代と同じように、これからも付き合うよ」と言ってくださる方もいました。その言葉には、本当に救われました。 この経験から、私が強く思っていることがあります。 事業承継は、元気なうちに、包み隠さず、できる限り伝えておくべきだということです。 私は、引き継ぎのない承継の厳しさを身をもって経験しました。だからこそ、次の世代には同じ思いをさせたくない。 父の死、母の言葉、そして悲しみを押し殺して現場へ向かったあの日の経験は、私の血となり肉となりました。 今振り返ると、あの日が、私の中に経営の魂が宿った原点だったのだと思います。 これが、私の経営人生の始まりでした。 次回予告 次回は、実績も信用も足りなかった私が、父に少しでも近づこうと始めた「早朝3時起き」と、配管学校への挑戦について書きたいと思います。